Challenges at the last resort of energy

「エネルギーの最後の砦」を守る一員として

出典:読売新聞

東日本大震災と上野グループ

 国民の“ゆたか”な暮らしと、経済発展の鍵となるエネルギー──。その中でも、持ち運びができて、貯蔵もできる石油やLPガスは、災害などで電力や都市ガスの供給が断絶しても市民生活を守ることができる「エネルギーの最後の砦(ラストリゾート)」と言われます。東日本大震災の直後には、首都圏でもガソリンスタンドの前に長い車列ができていたことを皆さんもご記憶ではないでしょうか。そうした大混乱の裏側では、「最後の砦」を何とか機能させるための必死の闘いが続けられていました。

「悪路を越え 北へ」

 2011年3月24日の読売新聞に「悪路を越え 北へ」という見出しの記事が、車列を組んで東北自動車道を一路北へと向かうタンクローリーの写真とともに掲載されました。
 写真に写る車体は石油元売会社の白油(ガソリン、軽油、灯油)を運ぶ上野輸送のタンクローリー。インタビューに応えて「故郷のために、自分にできることをしたい」と話す秋田県出身のベテランドライバーは、危険物を満載して、余震も未だおさまらない中、ところどころに震災の生々しい傷跡が残る道路を走るというミッションを、自ら志願して引き受けたのでした。
 「3月末とはいえ、東北はまだまだ寒い。公共交通の便が悪く、車がなければ買い物にも行けないという人も多い。だから油を待っている人たちに一刻も早く届けてあげたい。しかし事故は絶対に起こせないのでスピードは出せない…。」
 朝の4時半に川崎の製油所を出発し、内なる葛藤と闘い、神経をすり減らしながら、ほぼ12時間かけて420キロ先の目的地に辿り着いた彼が目にしたのは、ガソリンスタンドの入り口から数キロ先まで続く数百台もの車の行列でした。
 「よくぞ来てくれた」「御苦労さま」「本当にありがとう」荷降ろしを終えたドライバーは、朝から並んで待ち続けた人々からねぎらいや感謝の言葉が入り交る歓声が湧きあがる中、自らも胸に込み上げてくるものを抑えながら、そのまま東北各地への配送業務に就くべく、給油基地のある秋田へと向かって行きました。

震災後に上野グループが担った役割

3.11
社長を本部長とする災害対策本部を設置
(震災直後は29カ所の油槽所の内23カ所が出荷停止に)
3.14
主たる荷主である昭和シェル石油が、系列サービスステーション等への石油製品の供給確保、元売全社協力による供給体制の強化などを旨とする「石油製品の安定供給に向けた取り組み」を決定
 
①荷主の依頼に応え、西日本など被災を免れた製油所からの海路による石油製品の転送業務を開始
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3.22
震災で機能を失った上野輸送東北支店を川崎本社(当時)に一時移設
 
②全国から川崎事業所にローリーを集め、被災地に向けて陸路による輸送を開始
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全国の事業所の協力のもと、各地のドライバーを川崎、新潟、秋田、青森などの供給基地へ派遣。(③新潟より小名浜に向けて配送)
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4.02
八戸油槽所の機能が回復したためドライバーを派遣
4.10
塩釜油槽所の機能が回復したためドライバーを派遣

※こうしたサプライチェーンを含む業界を挙げての努力が実り、震災後約1カ月で、東北地方への輸送量は震災前のほぼ7割まで回復しました。